ヨルシカ「又三郎」の歌詞の意味については、約5ヶ月ぶりとなるデジタルシングルでもあるため、知っておきたいところですよね。
この曲はCMソングにも起用されていて、ファンから待ち望まれていたと言えるでしょう。今回はヨルシカ「又三郎」の歌詞の意味と、魅力的な曲である理由についてお伝えしていきます。
「風の又三郎」について
この曲は宮沢賢治の「風の又三郎」をモチーフに制作されました。現代社会の閉塞感を、風の子に壊してほしいというような思いがあるのです。
このためとても疾走感のある、素晴らしい曲になっているのでしょう。そしてMVについても、風を追い求めるファンタジックな内容になっているのです。
MVのディレクションは2020年の6月3日に配信された「春ひさぎ」以来のタッグとなる勝見拓矢が担当しています。
「dアニメストア」CMソングとしてもオンエアされているので、既に聴いたことがあり興味深いと感じている人もいるでしょう。
歌詞の意味について
空を吹き飛ばしてしまうぐらいの嵐を、呼んでほしい思いがあるのです。風を待ち続ける気持ちがあるのでしょう。
退屈な生活から抜け出したい思いがあるのです。そして嵐に対しては、言葉を飛ばしてしまってほしい。
誰かが何かを言うことができない状態、そして自分自身さえも呑み込んでほしいと願うのです。
風を呼ぶ存在があるというのは、本当だったと驚いているのです。これができるその存在は、自分の思いのままに生きられるのでしょう。
ずっと待っていた風という存在。型にはまったようなこの窮屈な場所は、辛いので何とかしてほしい。だから雨を思い切り降らせて、憂鬱な気分まで吹き飛ばしてと願うのでしょう。
嵐になると、色々なことを捨ててしまうのが可能なように感じるのです。そして忘れてしまいたい思いもあるのでしょう。
風により色々なものを飛ばしてくれるのです。これを望んでいるのでしょう。悲しみだけではなく、夢さえも飛ばしてほしいと願うのです。
進んでいくとしても、とてもゴールが遠いように感じるのでしょう。でも風があれば変わるかもしれません。
誰かが余計なことを言う余裕のないほどの強い力で、風を起こしてほしいのです。
現代社会に向けて
この曲については、現代社会への思いが関係しているように感じます。求めているものがあり、それを表現しているのでしょう。
そして願いが叶う可能性まで、消してしまいたくないのです。きっと日々の中で、待っていたと思うような風が吹く時が来るはず。
このことを信じながら、熱さや勢いを感じるこの曲を聴いて進んでいくのもよいのかもしれません。
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