松山英樹がゴルフの世界メジャー大会で初優勝する嬉しいニュースが、2021年4月に日本中を駆け巡り、嬉し泣きや笑顔が溢れました。
多くの男子ゴルファーの夢であるマスターズ・トーナメントを制覇したのは、アジア出身としても初となる快挙です。松山英樹の栄光までの道のりなどについて、紐解いてみましょう。
日本中のゴルフ関係者の悲願
「マスターズ・トーナメント」は、米国のオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブで、1934年から開催されています。世界の4大メジャー大会の中でも、究極の目標としているゴルファーも多く、招待された選手のみが出場できる、とても権威のある大会です。
日本の歴代のスーパースターたちが、幾度となく世界のメジャー大会に挑戦し、高く厚い壁に阻まれ続けました。マスターズでは、4位が過去の日本人最高で、松山自身は6年前の5位が最高順位でした。
松山英樹のマスターズ制覇を中継していたアナウンサーや解説者が、しばらく号泣して言葉が出せなくなったシーンも印象的でした。いかに関係者の悲願だったのかが良く分かり感動しましたね。栄光のグリーンジャケットがとても似合っていました。
名門校の王道で成長
松山英樹は、1992年2月25日生まれ、愛媛県松山市出身です。父のゴルフ練習を幼少から見ていて興味を持ちます。父のゴルフクラブを短くしてもらって、4歳から打ち始めると、夢中になりました。
親子で上達し、父も後に52歳で日本アマチュア選手権に出場するほどになるのです。父は「ヒデキゴルフガーデン」という練習場を、現在地元で経営しています。
中学2年生から地元を離れ、ゴルフ部も名門の明徳義塾中学・高校(高知県)で、才能は磨かれました。高校2年生の時に全国高校選手権で個人優勝をするなど、同学年の石川遼とライバル関係でもありました。
大学もゴルフで名高い東北福祉大学(宮城県)に進学した1年目に、2010年のアジアアマチュア選手権で日本人初優勝し、19歳でマスターズ・トーナメントの招待を得ます。
大学4年生で2013年にプロ転向すると、1年目で日本ツアー賞金王に輝き、翌年から米国をメインにツアー参戦しています。世界のランキング最高2位まで上がったこともあり、メジャー制覇を常に期待される選手に成長しました。
メンタル的にもかなり厳しい競技です。挑戦を始めて10年目のメジャー初制覇の陰には、母校関係者との絆が大きな支えだったことでしょう。
今後の活躍にも期待
優勝パット後グリーン上で、コースに一礼するキャディーの姿も称賛され話題になりました。妻や早藤キャディーも、明徳義塾から東北福祉大学まで同じ後輩で、気心が知れた間柄です。強い絆で支え続け、今後も活躍が期待でき本当に楽しみです。
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