オリンピック野球で日本が悲願の金メダル!光った稲葉監督の采配

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オリンピックの野球で日本が悲願の金メダルに輝きました。稲葉篤紀監督率いる侍(サムライ)ジャパンが、日本中の期待に見事に応えてくれて、テレビの前で歓喜した人は多いでしょう。悲願の金メダル獲得について紐解いてみましょう。


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正式種目として悲願の金メダル

1984年のロサンゼルス五輪で、社会人と大学生で出場した日本代表が優勝したのは37年前、当時は公開競技であり正式種目ではありませんでした。

正式種目となった1992年のバルセロナ五輪で銅メダル、1996年のアトランタ五輪で銀メダル。プロ選手の参加が認められた2000年のシドニー五輪では4位に終わりました。

2004年のアテネ五輪は、病で辞任の長嶋茂監督の思いを引き継いだ中畑清監督のもと、全員プロ選手で臨みましたが銅メダル。

2008年の北京五輪では星野仙一監督のもと、熱い戦いをしましたが無念の4位でした。稲葉監督も北京五輪では選手として悔しい思いをしています。

以降五輪の種目から外れていた野球が、13年ぶりに東京五輪で復活し多くの野球ファンも喜びました。正式種目での金メダルは日本野球の悲願でした。

 

5連勝で完璧な優勝

稲葉監督に率いられた24人の選手たちは、愛称の「侍ジャパン」のごとく、サムライの魂で力強く戦いました。

7月28日初戦のドミニカ共和国戦から接戦で、最後まで諦めない粘りで9回に逆転サヨナラ。7月31日のメキシコ戦で勝利し、8月2日のアメリカ戦も延長タイブレーク(ノーアウト1塁・2塁)での、守護神・栗林良吏投手の見事な0点ピッチングが光りました。

8月4日のライバル韓国戦も終盤までもつれますが、8回裏に山田哲人選手の2塁打で3点を獲り、接戦を制して決勝進出を決めました。

8月7日の決勝戦は、アメリカと再び戦いました。先発・森下暢仁投手の好投に答える形で、3回に村上宗隆選手の先制本塁打。

8回に山田哲人選手の好走塁で追加点と継投も完璧に決まり強豪アメリカを0点に抑え優勝しました。5連勝で完璧な優勝でした。

北京五輪を経験している唯一の選手・田中将大や坂本勇人らの1988年世代が最年長でチームを引っ張り、最年少21歳の村上宗隆も堂々とした戦いぶりでした。

伊藤大海や栗林良吏のルーキー投手の肝が据わった投球も光りました。安定したゲームを作った先発投手陣の質の高さも日本が一番でした。甲斐拓也捕手の扇の要の活躍も素晴らしかったですね。

稲葉監督は勇退

稲葉篤紀監督は、1972年8月3日生まれで、五輪開催中に49歳になりました。今大会で代表監督を勇退されることが発表されていますが、プロ野球球団の監督になってほしい人です。

温和な性格と誠実な人柄で人望があります。稲葉監督の采配と、選手をのびのびと能力を発揮させる力があってこそ、優勝の金メダルに導いたのでしょう。

菊池涼介選手が稲葉監督に金メダルを掛けてあげるシーンも、とても印象的でしたね。


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